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僕は次の目的地である慈雲寺(白浜毘沙門天)に向かう事にした。
道順は134号線に戻り三崎口駅を通過して、松輪入口で岩堂山に向かい
八雲神社を得手、白浜毘沙門様にたどりつく予定だった。
ところが、松輪入口からほぼ一本道だという油断なのでしょうか、
でも、確かに神奈川県で一番低い山、そして三浦市で一番高い山の頂上を
目視で確認していたのにも関わらず、坂を下ってみると走湯神社付近に出ていました。
当然最初は何の事か、現在位置が分からず、なんだこれはどうなっているんだ、ていう感じで困惑しました。
また山を登って道に戻るか、でも坂道は辛い、本当に辛い、
ところが、運よく近くには圓福寺(金光恵比須尊)の寺を発見、まさにお導きなのではと思いながら、
これで道(場所)も分かり、圓福寺七福神と金光恵比須尊(本堂)拝み、海岸沿いの215号線から再度白浜毘沙門天さまに
コースを向けた。実は、金光恵比須尊さま、長安寿老人さま、栓龍弁財天さま、鶴園福禄寿さま(花山七福神)の
撮影は去年撮り終えていました。去年は晴れの日で、太陽光線が海に反射して凄くきれいで、それを見ているだけで、
気分が良くなり、まさに海に惚れてしまいました。しかも、鶴園福禄寿さまの鎮座している場所は山の頂上で僕のプロトレックでは標高80Mと記録した。
その時は水仙の花が山一面に咲いていて感動した。で、その山を登るのに石仏174躯、木造12躯、青銅2区を拝みながら登る訳です。
しかし、この日の天候は曇りで肌寒い日でした。期待していた程の海の輝きは期待できないまま、金田港を見ながら215線を歩いていました。
スポーツタイプの自転車やランニングしている人とをよく見かけました。
そして、江奈湾にたどりつき、山道の方に歩き始めようやく白浜毘沙門様にたどりつくことが出来ました。
撮影は始めは遠い位置から全体を撮り、そして近くから撮影、目のくりとした、優しい表情のとても素晴らしい毘沙門様でした。
そして、住職さまから毘沙門洞窟のお話を聞きました。昔、この洞窟の調査に昔の東大のチームが本堂で寝泊まりしていたそうです
この海蝕洞窟は、弥生時代から平安時代まで住居、墳墓として利用されたものです。
洞窟の中からは、
おもに弥生時代の漁法技術を物語る鉄、青銅、鹿角製の釣り針などが出土した当時の生活を知るうえで貴重な遺跡です。
青銅とか、鹿の骨とかを発掘していたとのことでした。
僕もその洞窟に行き、中は洞窟というよりも洞穴という感じでした。
そして、最後の目的地、見桃寺の桃林布袋尊に足を向けましたが、足は痛くバスの利用を考えましたが、215号線に戻り歩きの精神を全うする事にしました。
でもこの時実は、深谷七福神を巡っている時に、赤の他人の僕に親切に自転車を貸して頂いたご家族の事を思い出していました。
本当にあの時は助かりました。まさに恩人です。
でも、今は自転車はない、23区を共に走ってくれているチャリもない、と、そうこうするうち白くて大きな風車を発見して、
また、道に迷い(なんとビックリ)栓龍弁財天さまにたどり着いていました。そして本殿を参拝して神社の脇にある坂道を登り、大きな道路134号線に出て、
時間が5時に近づいていたので焦りはじめて、セブンイレブンで道を尋ねてでも焦りまくってたどりつけず、何人かの人に道を聞いてようやくたどり着くことが出来ました。
道を聞いた人は皆さん親切な方々でありがたかったです。セブンイレブンのお店の方は外まで出てくれて教えて頂いて感謝の一言です。
それなのに見桃寺の住職様に会う事がかなわず、残念な結果に終わってしまいました。
帰りは134号線約1時間かけって三崎口駅まで歩いて帰りました。でも見桃寺の近所の人曰わくバスなら駅まで15分で着くわよとのことでした。
その日の歩数計は51,191歩でした。
三浦七福神はうまくバスを利用した方がいいと思いました。
それと三浦七福神のガイド本が500円で販売されており、この中には歩きながら行くコースとかバスと徒歩のコースや
バスの時刻表、お寺の案内など重宝な本がありますので是非参考にされた方がいいと思いました。
動画は三浦洞窟の様子です。
http://www.youtube.com/watch?v=Pgivp_H4iYo&feature=youtu.be
おわり